カニのように横歩きをして



「給料は出来高制だから、少しでも採炭量の多い坑道に入るのを希望した。大体 1m掘って33.000円の見当だった。月平均40万取っていた。いい坑道は、掘って1年 たらずの新しい坑道だった。でも、昭和43年から採炭量は落ちてしまった」

「炭坑の坑内勤務は3組3交代で、一番方は6時33分に入坑した。二番方は13時36分 に、三番方は20時32分に入坑した」

「ゆうべ言った道具箱は、大工さんの当具箱に似ていたが、鉄製や木製もあった。 板厚は1Cmもありがっしりしたものだった。道具箱は通行の邪魔にならないように、 『ドベラ』、坑道の壁を加工して入れていた」

「採炭作業では、炭層の厚みによって、3尺層とか8尺層といっていた。3尺層では 『しょうあ』という爆薬を使い、8尺層ではドリルカッターを使った。落とした石 炭は5トン積みのシャトルカーで運んだ。掘っているときは音がうるさかったが、 危険性があるので耳栓は使わなかった。孔を掘ることを『さっこう』といったが、 『さっこう』が終わるまで絶対防塵マスクは外さなかった。」

「採炭作業に続く、くっしん(掘進)現場ではニトロ台車の脱線の復旧にはてまどっ た。面倒でも天井の枠にチェーンブロックを架け、台車をいちど吊り上げ、センタ ーをだしてからレール上に卸すようになっていたが、忙しいときや、一人のときは 危険で禁止事項となっていたが『五寸がけ』といった方法をおこなった。これは脱 線した車輪の前にペースという鉄板を置き、少しずつ台車を走らせて車輪をレール にはめ込む仕事だが、このとき手を持っていかれ、手や指を落とす人がいた。上手 い運転手だと一人で脱線を直す人がいた」

「ダイナマイトを入れる棒を『込め棒』といった。ダイナマイト、雷管、その後に 入れる『タッパー』は砂袋で薄いナイロン袋に入っていた。雷管からでている線に、 規定50mの母線を結線する。母線の反対側には発破器がついている。発破器の大き さはテッシュペーパーを入れる箱より少し小さいぐらいだ。結線をし、作業者全員 50m離れた場所に退避したことを確認したら、発破器に鍵を入れひねる。キューンと いった音がしたら、爆発音が響き、もうもうたる土煙で先が見えなくなる。一本で も結線が外れると爆発しなく、また不発のときは危険でなかなか現場に近づくこと ができない。よその現場で不発とおもい点検に近づいたら、暴発して犠牲者が出た こともあった。また先山がダイナマイトを充填中に爆発し、先山の頭が飛んできて、 後ろにいた管理職の顔にぶっかったことがあった、いつも厳しいことを言っていた その管理職も、ショックでノイローゼになり、勤まらずやめたこともあった」

「最初、坑内に入ったときは気味が悪く、カニのように横歩きをして坑内を歩いた。 怖いこと、危険なことにもあったが、一番怖いのは下から地面が盛り上がってくる 『盤膨れ』(ばんぶくれ)だ。坑道の天井のことを『天盤』(てんばん)といったが、 盤圧(地面の圧力)が強くなり崩落が起きたときは、ある程度枠で防ぐことができる が、下から来るやつは防ぎようがない。そのためか障害保険にはみんな、20口以上 入っていた。入院手当てが一日1万円から1万5000円でるもので、怪我をしても生活 が保証できるという計算だった」

「俺の炭鉱の話はこんなところだ、もっと聞きたいことあるか、明日は午後から退 院だから、聞きたいことあつたら午前中に話すから」といって梅庭さんは寝息をた てた。
彼は翌日、朝食を済むと諸手続きのためか、また姿が消えた。昼になると、縁しを 交わした患者、看護婦、事務員に挨拶を済ましてきたのか、晴れ晴れとした顔で戻 ってきた。

戻ってくると、ふさふさした髪に櫛をいれ、清潔な色の街着に身を包むと、私の手 を握ぎった。探偵屋の経験を有する彼は、目つきが鋭いものの柔和な顔で紙袋1つ を持ち、軽やかに病室を出ていった。どうやら、パチンコ店へ直行の気配が感じら れた。
 

 
杜父魚文庫