独り暮らし 820201
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独り暮らしのせいか、私の回りには似た境遇の女友達が多い。
その一人、A子は43歳。キャリアと能力を買われて半年前、担当部門の責任者に
なった。「田舎から出て来て、結婚もせずに頑張った甲斐があったわ。これからバリ
バリやるから見ていててよ」眸をきらきらさせて彼女は言った。若い頃から愛情問題
もスマートに処理してきた彼女は、部下の扱いや同僚とのつきあいにそつはない。海
外出張もさっそうとこなした。「独り者の有り難さが身にしみたわ。亭主や子供がい
たら、こう思い切って働けないでしょう」晴れやかな笑顔が眩しかった。
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そのA子が会社を辞めた。理由は、二年前から同居していた母親のノイローゼだっ
た。女手一つで彼女を育てた母親は、70近くまで郷里の小さな町で雑貨屋を営んで
いた。脚腰の弱まりで娘の許へ身を寄せたが、母親にとって東京のアパート暮らしは
耐え難かったのだろう。A子が仕事で出張がちになり、忙しさで母親を忘れる日が続
いた頃から、子供のように娘の後を追い廻すようになった。ドアの外で帰宅を待った
り、駅までついて来たり、ガスを消し忘れたりした。
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「私を駄目にする気って、母を小突いたり罵ったり・・・ずい分悩んだわ。会社では
一年休職にしようと言ってくれたけど、甘えられなかった。私が手を握っていると安
心して眠る母を見ていると、生きるってことの意味を考えさせられたわ。もし私に子
供があれば、母は孫と暮らす楽しみも味わえたのよ。結婚もせずに子供を産まなかっ
たのは私の意志だけれど、母は私だけが生き甲斐だった・・・施設へ預けてでも勤め
たい、って、考えたができなかった。仕事?そりゃ、無念よ」
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半月後、A子は母親を伴って郷里の町へ帰って行った。「母を看取って独りになった
らまた、好きな仕事を始めるわ・・・」最後に逢った日の彼女の表情はおだやかで優
しかった。私は改めて、肉親を看取る責任のない立場で、身勝手に生きてきた自分の
長い時間を考えた。
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B子は、私の小学校の級友である。郷里の町で保育園の保母をしている。11歳の時
に父親が事故死。彼女の下には妹と弟がいた。気丈な母親は残された田畑を作りなが
ら、三人の子供を育てた。利発だったB子は進学を断念、働きながら高校を卒業、保
母の資格も取った。母親の片腕として弟妹の面倒を見る年月の中で、彼女の20代、
30代は消えていった。「恋も結婚も考えなかった、と言ったら嘘になる。迷ったけ
ど踏み切れなかった。自力で生きてる方が安心なの。私って、植物人間かな・・・」
屈託なく笑っていたB子。
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その彼女が、去年独力で家を建てた。彼女が働けなくなれば、家は本人の施設入所と
引き替えになる仕組とか。
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新築祝いの席で、弟が挨拶した。「昔は、女の細腕と言ったが、今は女の太腕の時
代、姉を誉めてやってください・・・」新築の家で、寝たっきりの老いた母親を看な
がら、B子が言った。「これまで、心の隅に肉親の犠牲になった、という思いがあっ
たけど、本当は家族に支えられてたのかもしれない。この家は、私が生きた歳月の証
ね」書いたことで過去をふっ切れた自分のことを重ねながら、私はそれを聞いた。
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C子は35歳で、中堅会社の社長秘書である。自力で買った一DKのマンションに一
人で住んでいる。別の会社に勤める恋人がいるが、男は三十八でまだ独身。彼の家庭
の事情から二人は結婚も同棲もできないまま、十余年も過ごしてきた。仕事で自立し
ようと突っ張っている彼女は、時々気持のコントロールがきかなくなり、私のところ
へ電話してくる。「踏み切れない男を殺して私も死にたい・・・」「見切りをつけ
ろって?判ってる。だって、好きなんだもの、別れられない。子供だけ産んで育てよ
うかな・・・早くしないと間に合わない?判ってるわよ」そして「今、一人でお酒呑
んでるの、淋しくてさみしくて・・・」と電話の向うで絶句する。
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だが仕事で報われた日などは、明るく華やいだ声音で、「ねえ、私って、いい女だと
思わない?だって、彼なんてぜんぜん当てにしていないのよ。自力で生きてんだか
ら。男なんて駄目ね・・・仕事が最高よ」そのC子が先日、深夜に電話をかけてき
た。「今お巡りさんが帰ったとこ。知らない男がドアを叩いて開けろって怒鳴るの
よ。え?酔っぱらいじゃないわ。シラフよ。110番したら逃げちゃった。一人暮ら
しを狙ってるから、あなたも気をつけて・・・」
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三日後、「ゆうべもいたずら電話で眠れないの。あなたが好きだ、って、切っても
切ってもかけてくるの・・・知らない男よ」翌日、「駅からマンションまで、高校生
らしい男に尾行られたわ・・・怖くて。どうしたらいい?」私は不安になって、わざ
と彼女の話しを軽く受けた。「あなたが若いから女学生に見えたのよ」
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「なによ、人をバカにして。私、本気で話してるのに、ひどいわ!」昂ぶりの異常さ
に驚いて、私は慌てて詫びた。そして自分の49という歳や彼女と同年だった頃を考
えた。一途な真面目さは自縛につながる。彼女の訴えが妄想でないことを願い、早い
時期に、男との現状を打開して欲しいと思っている。
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D子、E子・・・離婚したり未婚だったりする彼女達は、今の風潮にそそのかされた
わけではない。誰もが自分の内部に必然性を抱えて生きてきた。結果を悔いることは
あるまい。私の身近には今、24になる姪がいる。看護婦として自立しているが、し
きりに結婚にも迷っている。
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「早く嫁に行きなさい・・・」私は時折憎まれ口を叩くが、困難な時代に向かって生
きる彼女の、これからを想わずにいられない。
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