110年前の今月今夜

最近樋口一葉に関する文章を書く必要があって、久しぶりに一葉の「日記」をひもといてみた。そこであらためて一葉という人の凄さを感じてしまった。確かに天才的な才能の持ち主であったと思うが、日記に見えるのはその激しいまでの努力の足跡である。書くことに対する執念と集中の仕方には、思わず頭が下がる。

一葉は十四歳から死の数ヶ月前の二十四歳まで、十年間日記を書き続けた。「晴天。何事もなし」のたった一行の日もあるが、数ページにわたって、短編小説さながら身辺の出来事を書き綴った日もある。

110年前の今月今夜、つまり明治26年1月29日の日記は、重要な記述を含んだ内容となっている。現在では一葉の作品を原文で読むのはためらう人が多いと思う。しかし日本語である。わかりにくい所はさらりと流して、リズミカルな文体を味わい、だいたいの意味がつかめれば、それでいいと私は思っている。

(下記引用は、読みやすくするため原文にない句読点や「 」やふりかな等をほどこしています。/\は繰り返しの記号です。)
樋口一葉「よもぎふにつ記」より(明治26年1月29日全文)
廿九日 暁(あかつき)より雪ふる。今日はさきの日のにも増(まさ)りて、勢ひよく降りに降る。芦沢(あしざわ)来る。「今日は九段に大村卿の銅像落成式あるべきながら、此雪故延(ゆえのべ)に成し」など語る。

阿部川(あべかわ)もちなどこしらへて、打よりてくふ(食う)ほどに、いや降しきる雪つもりにつもりて、芦沢帰宅ごろには五寸にも成りぬ。日没少し前にやみぬる也。
夜いたう更けて、雨だりのおと聞ゆるは、雪のとくるにやと、ねやの戸をして見出せば、庭もまがきもたゞしろがねの砂子をしきたるやうにきら/\敷、見渡しの右京山たゞこゝもとに浮出たらん様(よう)にて、夜目ともいはずいとしるく見ゆるは、月に成ぬる成るべし。こゝら思ふことをみながら捨てゝ、有無の境(さかい)をはなれんと思ふ身に、猶(なお)しのびがたきは此雪のけしき也。

とざまかうざまに思ひつゞくるほど、胸のうち熱して堪(たへ)がたければ、やをらをりて雪をたなぞこにすくはんとすれば、我がかげ落てあり/\と見ゆ。月はわが軒の上にのぼりて、閨(ねや)ながらは見えざりしぞかし。

空はたゞみがける鏡の様(よう)にて、塵計(ちりばかり)の雲もとゞめず、何方(いづく)まで照るらん、そゞろに詠(なが)むるもさびし。
 降る雪にうもれもやらでみし人の おもかげうかぶ月ぞかなしき
 わがおもひなど降ゆきのつもりけん つひのとくべき仲にもあらぬを
<引用終わり>

多少の解説を加えると、この日雪を見て、一葉は1年前の雪の日の出来事を思い起している。その日、一葉は雪の中を小説の師である半井桃水(なからいとうすい)の仮寓を訪問し、小説の話をしたり、写真を見せてもらったり、桃水が作ったしるこをごちそうになったり、半日を楽しく過ごした。桃水は一葉の先生であり恋い慕う人であった。

その後一葉の通う歌塾で桃水の悪い噂が立ち、世間体を気にした一葉は桃水と絶交していた。しかしそれは表面上のことで、それ以降桃水のことをひとり悶々と思い悩み、恋についてのさまざまな考察を試みている。

この日の日記には楽しかった1年前の記憶がよみがえって胸が熱くなり、深夜庭に下りて思わず雪をすくいあげる様子が描かれている。この生々しい激情を根拠に、一葉と桃水との間には「男と女の関係」があったとする「一葉非処女説」がある。一葉にしてみれば迷惑千万、余計なお世話よ、と言いたいことだろう。

110年前の今日の一葉は、まだ二十歳。桃水の指導でやっと小説を書き始めたころだった。一葉の日記は明治の初期を生きた若い女性の日常が、いきいきと描かれている。一葉の日記を読んでいると、一葉と友だちのような、一葉の事は何でも知っているような気持になるのが楽しい。(2003年1月29日)

 

 
杜父魚文庫