農家の姿が見えてくる 「女の階段」誌評


870414



読み終わって、内容の重さにため息が出た。どのページのどの一行にも、農村女性の てらいのない真実の声があふれていて、目をそらすことができなかった。

一篇ごとに住所、氏名まで丹念にたどるうちに、私は二十数年前に脱け出した郷里の 村に、自分が暮らしているような感慨を抱いた。

昭和三十二、三年ごろ、私は人生の岐路に立っていた。新しい農婦の夢をかけた恋の 相手に裏切られ、心にもない結婚をあうるか、自立のために村を出るか・・・。悩み 苦しんでいる時、農民文学の存在を知った。手探りで自己表現の文章を書くことで、 私は上京して女一人の階段を上り始めたのだった。あの時、ペンにすがる道をたどら なかったなら、今の私はどうなっていただろう。

「女の階段」二十周年記念誌に載った前半の手記のすべてには、書くことで自己表現 を果たしていく悦びと、仲間を得て励まし励まされた感謝の思いが記されている。ど の一篇にも、日本農業の歴史と農家のありようと、人間の生きざまが凝縮されてい て、一行の無駄もない。書き手の女性たちは、年代を問わずひたむきで、健気で強 く、したたかである。そしてみな一様に律儀で謙虚だ。

反響特集、あの時の「女の階段」、農の女たちへ、とそれぞれの章に共通して流れる のは、ぎりぎりの線まで踏ん張って生きた女性たちの、ほとばしるような本音であ る。

嫁姑夫婦、親子、生活習慣、農業、社会と、あらゆる問題に立ち止まり、悩み、書い ては訴え、読んでは考える女性たちの姿勢のひたむきさには、胸が熱くなる。私も村 で結婚していたら、こうだったろう、ああだったかもしれぬ・・・そんな共感で涙ぐ んだり苦笑したり、拍手を送ったりさせられた。

それにしても、まだまだはた目のうるさい農村で、実名入りの文章を書くことは、さ ぞ勇気のいることだろうと、我が身を顧みて実感する。私にとっても文学や人生の大 先輩である丸岡秀子先生はじめ、かかわりを持たれた諸先生方のお力もあってのこと だと思う。書くことで社会を見ることは、本当に心強い。

それにつけても考えさせられるのは、農村における男性たちのあり方である。嫁姑問 題や妻の勉強などに見せる態度は、まだ古い。手記にもその指摘があった。農の女は 周りに愛情をふりまきながら、自分の愛に飢えている・・・と。

愛とは思いやりと理解である。まず男と女が対等に生きることから始まるのだと、青 春のころから現在も、私は思い続けている。農家といわず、世の男性たちにぜひとも この本を一読してもらいたい。そして中央や地方で政治にかかわる人々にも、一度目 を通してもらいたい。農業の現実と、けんめいに生きる姿がはっきり見えてくるだろ う。
 

 
杜父魚文庫