猫の爪


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私は現在、牡のシャム猫と暮らしている。
同居して六年以上。住まいは一DKのマンションなので、当然規則違反である。

私だけでなく、都会の集合住宅には、想像以上の違反者がいて、犬猫が内緒で飼われ ている。私は一人暮らしの淋しさと、生来の猫好きから我慢できずに飼ってしまっ た。

それだけに、他人に迷惑をかけないよう細心の気配りをしている。清潔はもとより、 交尾期に鳴かせないための去勢手術もしてやった。かわいそうで心が痛んだが、共に 暮らすためにしかたなかった。

季節がきて、戸外で猫が春を呼ぶ声を聞くと、私はおとなしく寝ている我が家の猫 に、「ごめんね」とつい謝ってしまう。彼は感情ゆたかで、私が気に入らないことを すると、必ず仕返しをする利口者である。だから私の手足はいつも咬み傷引っかき傷 だらけ。

部屋は毛だらけ、ソフアに爪あと・・・これが生き物とのつきあいである。どんなに 困らされても、彼はその何倍もの魅力で、私に生きる喜びを与えてくれた。

都市生活者にとって犬猫は、身近で飼える大切な動物であるが、集合住宅ではそれさ え思うにまかせない。だから子供たちは、生き物と縫いぐるみの区別がつかず、ペッ トの死を見ても、電池を入れ替えてくれとねだる始末になる。金魚一匹でも飼うとな れば、それなりの心遣いが必要だ。

ものを言えぬ生き物たちにそそぐ気持ちが、他人の心情を察する情感をはぐくむこと は誰もが知っている。だからといって、飼える環境でもないのに欲しがるのは人間の エゴでしかない。先日、新聞の社会面に、飼い猫の爪を抜く手術が流行っている、と いう記事が載った。

理由は壁や家具をひっかく、とか人間に爪を立てるから、というのだから呆れる。飼 い主は若い人に多いと書かれていた。

それを読んだとき、私は自分の手足の爪先に鋭い痛みを感じた。去勢、避妊手術も人 間の都合であって、むごいことだと思っていたのに、その上爪を抜くとは・・・。

私は四年ほど前に「猫を放つ」と題した短編小説を書いた。都会でしめ出された猫 は、田舎の農家でも飼ってもらえない。猫を必要としない生活の変化と人間の日常が テーマだった。そのうち、日本の猫は爪の無いのが当たり前、犬はワンとも吠えない もの・・・そんなことになるのでは、と空恐ろしくなる

犬猫はたまたま身近にいるから気がついたまでで、人間が動植物に加えているさまざ まな圧力は、どうであろう。

ベランダで咲く花や草樹の改良、食品の種子の変遷、すべてはバイオテクノロジーに 結びつく。その出発は人間の幸せを目指していただろう。だが人は勝手な動物であ る。科学技術への信仰によって、自然の中で生かされている自覚を失いやすい。私た ちは日常の中で、猫の爪を抜く無神経さに慣れ、いつしか自分の爪を抜く愚をしない か。怖いことである。
 

 
杜父魚文庫