つれあいの死


980731



平成九年十二月十三日の午後、飼猫のミチオが死んだ。シャムの牡で二十三才になっ ていた。人間なら金さん銀さんをとうに超えたトシだが、呆けもせず腰も抜けず、毅 然と生きて眠るように逝った。全身が冷えて胸に少し温もりが残る状態になっても、 「ミチオ」と呼ぶと、幽かに尾を振って応えてくれた。お世話になった獣医さんに後 日電話で報告した。私が留守にするたび預かってもらった先生は、感心した声音で言 われた。 「大往生でしたね!」
「ミチオにあやかりたいですよ」

私は冗談めかして言ったが、本音であった。独身を通した私には家族が無い。最近は 迫ってくる老後をどうするかに悩んでいた。家族の無い私にとってミチオは唯一の身 近な相棒だった。時には本気でミチオに愚痴った。

「お前はトシをとらなくていいね。長生きして私の老後の面倒をみておくれよ」

ミチオはOKの代わりに咽を鳴らしたが、やはり先に逝ってしまった。動物は口をき かないが以心伝心は人間以上である。

私がミチオと出会ったのは東京の深川に移り住んだばかりの頃だった。ある日何気な く入ったペットショップで、耳の後に掌ほどの脱毛跡のあるシャムの仔猫を見かけ た。檻の柵の間から手を出して私のセーターをしきりに引っ張る。痩せて汚い猫だっ た。

「お客さんに飼ってもらいたがってますよ。どうです。安くするから買いませんか」

もてあまし顔の店員は、頭の脱毛は病気だと言った。入院させて去勢もしたら、値引 き分どころか足が出る。それでも私はその猫のトルコブルーの眼に魅せられて買って しまった。いっしょにに暮らし始めた一DKのマンションは、単身上京して十数年 目、初めて自力で手にいれた住まいだった。

病院から帰ったミチオは、やがて毛並みにも艶が出て元気になった。シャム猫は気位 が高く、豹のような精悍さも秘めているとか。気心の知れない間、私は手や腕を引っ かかれて医者通いが続いた。部屋も荒らされたが、初めて迎えた唯一の家族に私は夢 中になっていた。一年もするとすっかり成猫らしい落着きがでて夜は私の腕枕で眠る ようになった。眠る前にミチオは横向きの私の顔をじっと見つめ、やがて丸い手を延 ばしそろそろと頬や鼻を撫でるようになった。まるで上等のパフでも当てられたよう な心地いい感触だった。

「わかったわよ。ここに居るでしょう。さあ、安心して眠りなさい」

背中を撫でてやると、初めて咽を鳴らして目を閉じる。とても猫とは思えない態度 に、私はミチオを閉じこめて、たとえ一晩でも外泊することが出来なくなった。ペッ トショップに預けて海外旅行に出ても、猫が気になって帰国が急がれた。友人が笑っ た。 「まるでミチオ君はご主人みたいね」
「そうよ、彼は私の”つれあい”なの。絶対に人を裏切らない、最高の恋人よ」

私は今でもそう思っている。ミチオと暮らし始めてから執筆の方も順調になった。訪 れてくる編集者や記者は、私から離れないミチオを見て「ボデイーガードって顔して いますね」と、笑った。カメラマンの中にも猫キチもいて、私よりミチオを撮りた がった。

昭和五十六年九月、作家の向田邦子さんが飛行機事故で亡くなった。二年後に文芸春 秋から向田さんの特集追悼号が出た。その雑誌の表紙を飾ったのは、二匹の猫を膝に した向田さんの写真だった。私はそれを買ってきてミチオに読んでやった。向田さん の猫はコラット種。タイ語で伯爵の称号を持つ貴族だと言う。バンコクで人目見た向 田さんは「感電」して連れ帰ったとか。猫の名はマミオ。

(マミオは偏食・好色・内弁慶・小心・テレ屋・甘ったれ・新しもの好き・体裁屋・ 嘘つき・凝り性・怠け者・女房自慢・癇癪持ち・自信過剰・健忘症・医者嫌い・風呂 嫌い・尊大・気まぐれ・オチョコチョイ・・・。きりがないからやめますが、貴方は まことに男の中の男であります。私はそこに惚れているのです。「眠る盃」所収「マ ハシャイ・マミオ殿」)

「私も向田さんのような名文家なら、ミチオのこと、こんな風に表現してあげたのに ね・・・ごめんよ」

ミチオはふん、と言った顔で横を向いた。名前だけでなく、ミチオは向田マミオ君に 気性がよく似ていた。彼ももう天国に行って向田さんに甘えていることだろう。

私が悲しめばミチオは迷って行く所へも行けまいと、つとめて陽気に過ごしてきた。 今の私は彼の肖像画を描くために、せっせと絵画教室へ通っている。二十三年間、本 当にありがとう。ミチオはこれからも私の心の”つれあい”である。
 

 
杜父魚文庫