こぶしの落としどころ


20030420



桜にさきがけて、公園や街角に植栽されている、こぶしの白い花がこころよい。
三十年も前、信州の白馬村に住んでいたとき、スキー場の雪がとけ、スキー客もいなくなり寂しさを感じた頃、ゲレンデの脇から、清楚に春を告げるのはもくれん科のこの花だった。



里は春のよそおいをしているものの、後ろにひかえる白馬連峰は、まだまだしっかりと雪のよろいをまとい、人を寄せつけない冬の顔を残している。
そんなとき雑木林の中で、ひかえめに白い命をともすこの花は、村人の農事暦として時候の挨拶となり、村人の口端にあがっていた。
こぶしの名のいわれは、開花直前の蕾の形が、幼子の握った手の形に似ているからだという説がある。
三月に入り、ふくらみをました蕾を逆光下で透かして見ると、なるほど、産毛を従えた蕾は、幼児のこぶしのように見えるから、愛らしくいとしさを覚える。



こんなノンビリした気持ちを吹き飛ばしたのが、アメリカ大統領ブッシュの挙げっぱなしで、さがらぬこぶしである。
今年の年賀状に、いまさらと思ったが、十二年前に作った詩を書き付けた。
          中東に  雪よ降れ
        静かに  静かに  雪よ降れ
        やわらかい  雪の下で
        こぶしを  ふりあげた
        中東の人々よ
        こぶしを下ろして  眠れ
        アメリカの兵士も  眠れ
        心がやさしくなるまで
        みんな  みんな  眠れ



十二年前、連日テレビから垂れ流しされる、ショウ化した戦争映像に、いらいらしながら、恩師の退職記念号『かどでから』の編集後記に衝動的に書き付けたのが、この詩だった。
テレビからは、めまいがするほど、長距離砲を撃つ場面が連日放映されていた。 殺すほうも、自分が殺す人々の顔を知らず、殺されるほうも、自分の命を奪う兵士の顔を知らない、無表情で残忍なシーンの連続であった。



赤子ながらも、五十七年前私も殺される側の立場を体験した。
1945年7月14日と、8月9日の2度にわたり、東北の軍都釜石は艦砲射撃を受け壊滅した。
私は1945年4月5日生まれであるが、父は結婚直後に南支へ招集され、母は一人生後100日目の私を抱え、おろおろ裏山へ逃げ隠れ7月14日は難を逃れたという。
8月9日の2度目の艦砲射撃は、より拡大化され、より徹底されたが、このとき母は、私の重湯を作っていて逃げ遅れた。



部屋の隅で私を抱いてすくんでいると、近くに被弾した。破裂した砲弾はちぎれ、ギザギザ状の鋭利な刃物となり逃げ惑う人々を殺傷するらしく、私を抱いていた母の二の腕を傷つけ畳に突き刺さった。
母の二の腕には私の頭があった。約2センチほどの差で、私は助かった。



釜石に1947年結成の詩人集団「花貌」というサークルがあり、昨年夏で71号になる機関紙『花貌』を発刊している。
詩人集団「花貌」は、1971年から戦争の悲惨さを風化させず、正しく後世に伝えようと、大変な根気で『釜石艦砲被災体験記録集』の発行も続けている。
代表は78歳の千田ハルさんという方であるが、昨年縁があり『釜石艦砲被災体験記録集』の24年分の合本を千田さんから頂いた。



いずれも生々しい被災体験ばかりで、涙腺の緩んだ私は困ってしまった。とくに、驚いたのはある女性の体験であった。
その女性は機上から射撃をする艦載機から逃れ、とある防空壕へ避難した。しばらくすると赤ちゃんを負ぶった婦人が、艦砲射撃を逃れ赤ちゃんをあやすようにして、同じ防空壕に入ってきた。防空壕の中は敵に気付かれるということで、静かにいなければいけなかったらしいが、その女性はなんとおとなしい赤ちゃんだろうと、夫人の背中を覗くと赤ちゃんの首はなかったという。



私は、約2センチの差で助かったが、私と同じ年齢のこの赤ちゃんは運悪く、砲弾の破片で首を落されてしまった。
昨年やはり千田さんから送られてきた、釜石公民館だより『青葉』によると、艦砲射撃による、被災状況は以下のようであった。
7月14日(12:10~14:18) 死者417人、全焼家屋1460戸、
米英軍の軍艦22艘、撃った砲弾2565発
8月9日(12:47~14:45)  死者286人、全焼家屋1482戸
            米軍の軍艦14艘、撃った砲弾2781発



さらに、死亡日の確定できない死者237人、それに捕虜などを加えると、死者の総数は1025人となり、相対する砲弾の総数は5346発であった。
釜石での被災者のほとんどは、軍とはほとんど無縁の無辜の民であった。



報道によると、米英の解放軍の名を装ったイラクへの侵略戦争の犠牲者には、一般民衆、無辜の民が多いと報じられている。
いかに彼岸のかなたの人が殺人鬼であろうが、関係のない一般大衆を巻き添えにすることは許されない。ましてや、未来をになう子供や罪なき弱者を生贄にすることは許されない。



国と国との交際、外交はとかく大きな声がまかり通るのだという。そのため肩肘を張り、声を荒げ、見せ掛けの数値を此れ見よととばかり誇示する。
そんな中で、ポーズとして振り上げたこぶしは、国の威信もあるのか、なかなか素直に降り落としたという例は知らない。
幼子の振り上げたこぶしは、目に入れても可愛いく、上下に愛嬌を振りまくだけだ。
ましてや、こぶしの花は落ちるときを知り、おのずと一週間を待たず、人の目を和ますと散る。
振り上げた為政者のこぶしは、引力に逆らわず、手の平を開き、相手の肩に下ろすしか、融和の落ち着き先はない。



3月19日の交戦の翌日、アメリカのブッシュと、イラクのフセインは声明の結びに同調したように『神の加護を』といった。
ブッシュはキリスト教のイエスの加護を頼み、フセインはイスラム教のマホメットの加護を頼んだ。これは未曾有の宗教戦争につながる懸念を含ませた、先制の声明であった。これは12前に予兆したものであった。
太平洋戦争のさなかに生まれ、母から始終戦争は駄目だよと聴かされていた私は、中東という局地戦から、第三時世界大戦まで拡大することを恐れていた。
今、終戦後の統治の権限配分が取りざたされているが、ここに至り、今次の戦争の背景が、戦争前から噂されたように採油権の獲得であったことが如実に、鮮明に見えて来た。今日本は右顧左眄せず、戦争反対。NoWarと平和外交の声を上げるべきだと思う。

 

 
杜父魚文庫