足元の見直しを


800901



私は美ヶ原の麓で生れ育った。千曲川の支流の一つである武石川の清流に馴染みなが ら、20代の後半まで村で暮らした。農家の嫁さんになるのが夢だった。挫折して郷 里を捨ててからもう20年になる。都会の一人暮らしで仕事に追われ続けた歳月だっ た。

数年前までは、気楽な遊びで帰郷したことは一度もなかった。時間のゆとりも気持の 甘えもなかったせいだろうか。それだけに、切ない望郷の念は人一倍である。そんな 私に郷里を正当に評価する資格はないかもしれない。信州、信濃、長野県、教育県 だ、空気がいい、水がうまい・・・東京でそんな言葉を耳にするだけで、なつかしさ が先に立つ。

最近は仕事の上で用事も増え、年に一、二度は生家へも帰るし、長野県内に足をのば す折もあるようになった。帰郷するたびに痛感するのは、農村の変貌である。市や町 の無個性な都会化ぶり以上に、村の自然の荒廃や暮らし方のせわしさが目につくの は、私が村育ちのせいかもしれない。

人の生活形態や環境が変化するのは、時代の巨大なメカニズムのせいではあるが、無 批判に流されては困る。便利さに馴れきった感覚で、車や機械や薬品にふりまわされ てはいないか。水田の畦の盛土が、黒いビニールの帯になったのを初めて見た時は、 胸を衝かれた。

農作業が大ざっぱで、ずさんで、仕事に心をこめず、採算本位でドライになった。古 い苛酷な労苦を抜け出した反動ともいえる。こうした問題に農村にかぎらない。人の 心の荒みは、自然破壊汚染に結びつく。

農産物や地域の産業や、観光事業のあり方など、地道に足元を見据える努力が必要で ある。それぞれの立場で日常の仕事や環境を見直す時ではないか。見直すことは、心 をこめることだと思う。時代の巨大なメカニズムの流れに歯止めをかけられるのは、 個々の地道な努力の結集ではないか。これは挫折して郷里を捨てた者の、虫のいい願 いである。
 

 
杜父魚文庫