幻の碧き湖と合縁奇縁


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私の拙著である伝記小説『幻の碧き湖 −古澤真喜の生涯』(筑摩書房刊)が出版さ れたのは、平成四年(一九九二)のことである。丸二年がかりの取材と執筆の苦労も 忘れかけた今年の春、真喜の夫・古澤元の郷里である岩手県沢内村から思いがけない 便りが届いた。地元有志を中心に、古澤元の文学再評価の動きが起こり、その結果妻 の伝記を書いた私にもお呼びがかかっているとのこと。

信じかねているうちに事態は進展し、七月の末に私は、古澤夫妻の一人息子・襄氏と 共に盛岡市や沢内村を訪れ、講演会や親睦会に出席したのだった。

その後、動きは一挙に具体化し、古澤元・真喜夫妻の文学碑が沢内村に建立される運 びとなった。執筆者の一人としてこんな慶ばしいことはない。引き続き襄氏が『沢内 農民の興亡 ー古澤元とその文学』を出版されることになり、その″刊行に寄せて″ を書かせてもらうことは私にとって重なる喜びであった。改めて『幻の碧き湖』にか かわる縁を確かめたくなり、先日久しぶりに画家の小角又次氏に電話をかけた。小角 氏は私の古い友人で、伝記執筆の契機をつくってくれた人である。

昭和六十四年(一九八九)当時まだ東京で暮らしていた私の元に小角氏は、『びしゃ もんだて夜話 −古澤元・真喜遺稿集』という一冊の本を届けてくれた。

『この真喜さんという人は、たぶん、あなたの女学校の先輩に当たるんじゃないか ね』 小角氏のご指摘どおり、古澤真喜は上田高等女学校(現・染谷丘高校)出身 で、私の先輩であった。『びしゃもんだて夜話』は襄氏が昭和五十七年(一九八二) に出版されたもので、この本と出逢わなければ、私の伝記執筆もなかったことにな る。それだけに、今度の沢内村の動向は思いがけない朗報として小角氏にお知らせし たかったのである。いろいろ話すうち、意外なことが判明した。

「あの本は、モリカンが沢内村の村長さんから貰ったんだよ。彼はあそこで芝居を やって、村の人達と親しかったからね」

モリカンとは、新劇俳優の森幹太氏のことである。二人は郷里の専門学校時代の同級 生で親友だった。私も森幹太氏とは知り合いである。出版記念会や文学賞受賞パー ティにも出席して貰い、手紙も頂いていた。まさか、その森幹太氏が沢内村と深いか かわりを持っていたとは、夢想もしなかった。

沢内村がドラマ化されたのは昭和六十二年(一九八七)だったことを、私は今度初め て知った。劇団銅鑼が創立十五周年記念公演として取り上げたのが、沢内村の深澤晟 雄村長を主人公にした「燃える雪」というドラマだった。森幹太氏は劇団の代表であ り主人公を演じる役者でもあった。沢内村は豪雪地帯である。そのうえに多病多死、 貧困が村の実態だった。昭和三十年代に深沢村長は「生命尊重」「村ぐるみの保健行 政」を村政の柱として奮戦。昭和三十六年(一九六一)に全国に先駆けて六十歳以上 の人と乳児の保健医療費を、無料診察に切り替えたのである。その苦闘の生涯が及川 和男著『村長ありき』となり、ドラマ化されたのだった。その後「燃える雪」は、全 国公演されて三百回の記録を残している。

襄氏がご両親の遺稿集である『びしゃもんだて夜話』を携えて初めて沢内村を訪れた のは、ドラマ化より五年前のことだった。その折りに寄贈された本が森幹太氏に贈ら れ、小角氏を経て私の手に渡されたことになる。単なる偶然とは思えない不思議な縁 を感じずにはいられない。ちなみに、古澤元の弟である漫画家の岸丈夫と小角氏は、 絵を介して戦前戦後と家族ぐるみの親交があった。森幹太氏も岸丈夫を知っていたと いう。そして襄氏もまた戦後間もない頃、叔父の家に同居していて、小角氏を見知っ ていた。

改めて私の胸に浮かぶのは、小角氏と森幹太氏と私が出会った頃のことである。二人 を私に紹介してくれたのは、農民文学でお世話になった藤田晋助氏だった。彼と森幹 太氏とは脚本家と役者、また小角氏とは芝居のポスターを描いた係わりで、昭和三十 年代からのつきあいだったとか。私は昭和五十年(一九七五)に初出版した『黄の 花』の装丁を小角氏にお願いし、その後新聞小説の挿絵で二度コンビを組ませても らった。

私をよく知る小角氏だったからこそ、『びしゃもんだて夜話』を見て、私と古澤真喜 を結びつけることが出来たのだろう。偶然と見える人との出会いや発展も、気がつけ ばどこかに強い意志の力を感じる。点として散在する人の縁も線で繋げばみんな生き てくる。これも合縁奇縁と見るならば、『幻の碧き湖』はその縁で生まれ、今度また 夫の故郷に文学碑として根をおろすことになった。

このたび襄氏が出版された著書には、沢内農民の興亡に重ねて古澤家三百年の歴史が ドラマチックに綴られている。それを象徴するかのように生きたのが古澤元であった と思う。文学碑建立に寄せて襄氏は、鮭が故郷を求めて川を溯るように、両親の魂魄 も沢内の地で落ち着き安眠するだろうと記された。

妻の真喜は生前に一度も沢内村を訪れなかった。そのこともあって、私は伝記取材の 折りにはご無沙汰していた。今度ご縁が広がって初めて沢内村を訪ねることが出来 た。ドラマの舞台となった“福祉の村は″自然の宝庫″という言葉がぴったりの美し い村だった。《ああ、真喜さんに見せたい》その時の思いは今も続いている。その願 いが叶った。  来年の春には、古澤元・真喜が夫婦作家として碑になり、除幕式が行われる。その 慶びに花を添えるものとして、襄氏の新著が出版されることは大変嬉しい。これから も合縁奇縁の輪が広がり続けて欲しいものである。
 

 
杜父魚文庫