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20030323



平成十四年十一月八日付けで、私は佐久市の住民になった。引っ越しの挨拶状には、「独り暮らしの」の終着点はやはり”ふるさと”でした・・・と書いたが、私の生まれ在所は小県郡武石村である。だが四十余年間県外で暮らした身には、信州がすべて”ふるさと”に思えた。その意味では佐久の地もまさに故郷であった。



先住地の茨城県八郷町には、佐久という部落があり、そこには「佐久の大杉」と呼ばれる天然記念物の巨樹があった。樹齢推定一三〇〇年というその杉に、私は東京から移り住む早々すぐ逢いに行った。”佐久”という呼び方に懐かしさがこみあげ、来客があれば必ず案内せずにはいられなかった。その佐久に移り住む日があろうとは・・・・。



縁とは不思議なものである。思い起こせば青春の終りの頃、私には佐久の地へ嫁いで来たかもしれないという思い出があった。自立のために家を捨て上京するか、親を安心させるための結婚を選ぶかと、悩み抜いていた昭和三十二、三年頃のことである。



佐久の親類先から縁談が持ちこまれた。これが最後とばかり両親に迫られ、私はしぶしぶ見合を承知して、父親に連れられ佐久の地を訪れた。だが相手の男には、親が反対して別れさせた恋人がいたのだった。そのいきさつを、私は小説に書いた。



農民文学の第十四号の女性特集号に、その作品が載った。筆名は本名の掛川たつよで、小説のタイトルは「破談」となっている。当時の私は会員になって二年目ぐらいだったろうか。長野支部会報に掌編小説らしい習作は書いていたが、本部の特集号で活字になったのは初めてだった。翌年の農民文学の総会に出席のため上京した。そんなことがきっかけになって、私は自立のため、家を捨て身一つで上京したのだった。昭和三十五年のことである。文学への出発でもあった。



小説に書いた佐久は、山に囲まれた村落だった。創作の世界と現実が入り混って、今の私には辿りようもない。住みはじめてまだ二ヶ月足らずである。買い物に出た足を延ばして、旧い町筋を歩いていると、東北や北陸の城下町を想い出す。千曲川原から野山の広がりを眺めていると、現在の佐久市は、私にとってまったくの未知の土地であることを思い知らされる。人々の方言と、身に染みる寒気と、空気の匂いだけは、紛れのない”ふるさと”として私の五体を包んでくれる。



佐久平から眺める浅間山は、間近で雄大で、朝に夕べにと表情を変え、見飽きることがない。帰郷のたびに車窓から眺めた浅間山は行きも帰りも懐かしくて哀しかった。
浅間嶺に想い誘われ初たより
年賀葉書に下手な一句を添えてみた。今の私は佐久地方を出発点にして、信州のすべてを学びたいと切実に願っている。(農民文学長野支部会報)

 

 
杜父魚文庫