時代の風 980520
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人と本の出会いにも<縁>を感じることがある。平成九年七月のこと、私の知人であ
る古澤襄氏から一冊の本が送られてきた。
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「風の詩人 父上野壮夫とその時代」と題したその本の著者は、堀江朋子という女性
であった。添え状には彼女からのメッセージが記されていた。
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「”幻の碧き湖”に父が登場していますのもご縁でしょう。著者の一ノ瀬さんに一冊
差し上げてください」ーそんな趣旨であった。拙著の”幻の碧き湖”は、古澤襄氏の
両親古澤元、真喜夫妻の伝記小説である。古澤夫妻と同じ時代に生きた上野壮夫の伝
記を、その娘さんが出版したのだった。古澤襄氏も堀江朋子氏も、両親のつきあいを
通して子供時代からの友達であった。上野壮夫の妻である小坂多喜子もまた作家を志
していて、二人は昭和初年の激動の時代に、古澤夫妻と出会い交流を深めた時期が
あった。
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私が”幻の碧き湖”に資料として取り上げたのは、小坂多喜子のエッセイの一部であ
る。上野壮夫については必要部分の記述だけですませたが、今度”風の詩人”を読ん
でみて、初めて上野壮夫が茨城県の出身であることを知った。本を送ってくれた古澤
襄氏も私も、現在は茨城県で暮らしている。これも<縁>だと思うのはこじつけだろ
うか。
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上野壮夫は、明治三十八年、筑波郡作岡村(現筑波町)大字安食に生まれている。地
主であり警察官であった父親に従って、鬼怒川べりの各地を移り住んだ。頭のいい文
学少年はやがて旧制中学四年の秋に故郷を出奔する。上京して文学を志すが、いつし
か時代の潮流である左翼運動にのめり込み、せっかく入った早稲田高等学院も退学処
分となった。二十五歳でナップ社の機関誌「戦旗」の編集責任者となり、誌上に多く
の詩、評論を発表したのだが、古澤元と出会ったのも「戦旗」時代である。当時の古
澤元は二十三歳だった。やはり左翼運動で仙台二高を放校され、文学を志して上京。
「戦旗」に辿り着くまでの軌跡が上野壮夫とよく似ている。
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やがて小坂多喜子と結婚した上野壮夫は妻と共に武田麟太郎主催の「人民文庫」に参
加する。古澤元、真喜夫妻との交流が続き、二年後の昭和十三年に「人民文庫」が解
散。きびしい弾圧の中で転向者が続出していった。
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文筆で生活でなくなった上野壮夫は、妻子のためにと花王石鹸に入社する。追いつめ
られた古澤元の方は右翼の大物橋本欣五郎の秘書となり、やがて召集され戦後シベリ
アの地で果てた。一方の上野壮夫は仲間から冷たい視線を浴びながら、花王石鹸奉天
工場長として渡満する。昭和十八年のこと。家族ぐるみであった。やがて敗戦と引き
揚げの混乱があり、昭和二十六年に上野壮夫は文学に戻るべく花王石鹸を退社した。
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プロレタリア文学からの転向者は、みんなそれぞれの苦悩を背負っていたが、上野壮
夫にとっての十字架は、大企業への就職だった。一から出直すつもりでフリーになっ
ても、家族の生活がかかっている。再就職の仕事は花王石鹸のコピーライターだっ
た。
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昭和二十七、八年代は、キャッチフレーズの広告宣伝時代の幕開けであり、上野壮夫
は思いがけない才能を発揮する。「清潔な国民は栄える」で広告電通賞新聞部門賞を
受賞。民放と組んで次々とヒットを飛ばし、昭和二十九年には朝日広告賞を受賞。
フェザーシャンプーの広告で、産業デザイン振興運動総理大臣賞、毎日広告賞とたて
続けであった。
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昭和三十三年、「東京コピーライターズクラブ」を創設。代表、会長となる。三十六
年には花王石鹸の顧問となり、やがて広告業界やデザイン業界の講師や会長を歴任す
るようになった。上野壮夫の感性の本質は詩人としての純粋さである。フレッシュで
柔軟な言葉はその感性から生まれたのであろう。どんなに売れっ子になっても上野壮
夫は自分の文学の出発点を忘れなかった。業界紙にエッセイや評論を書きまくる一方
で地道な同人誌に売れない詩や小説を発表していた。その詩の一部を紹介してみよ
う。
私が索める時(月)
薄明の月にてらされ
深い夜のかなたに散る花びら。
ひら ひら ひら ひらと
音もなく、たよりなげなる生の羽ばたきだ。
灰のような気流が
上空の方から吹いていて
この鉱物質の都会の裏には
犬の子一匹いない。
薄明の月にてらされ
ひっそりと横たわるビルデイングの影。
と
赭ちゃけた思想のごときものが遠く去り
透明な終末の気配が私をつかむのだ。
地上は乾いた物質におおわれ
夜明のそよぎもなくて
一切を喪失したわたしは
ただ酷薄なる月に照らされている。
(「文芸復興」2 昭和三十一年)
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上野壮夫はコピーライターとして、また業界の先駆者として多大の功績を残して、昭
和五十四年六月五日、癌のために死去した。享年七十四歳であった。「風の詩人」の
帯書で堀江朋子氏は、次のように書いている。
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(烈風の吹き荒れた冬の時代をくぐりぬけ戦後日本の経済成長の風にのって広告の世
界に生きた父は、昭和という時代の風に強く吹かれた人であった。[人みなの大いな
る朝]の来ることを夢み、自分の魂の問題として文学への執念を棄てずに走り続けた
父に、私は<風の詩人>という言葉を贈りたい。)
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時代に風、という言葉に私は古澤元の生涯を重ねて想わずにはいられなかった。戦後
の日本を見ることもなくシベリアに眠る古澤元にも、ようやく現代の風が届くのか。
平成十年の五月には彼の郷里である岩手県の沢内村に古澤元、真喜夫妻の文学碑が建
つという。
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上野壮夫、小坂多喜子夫妻もまた、娘の伝記の中で甦り、<生きる>とは何かを私た
ちに強く訴えかけてくれている。
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