8月 28th, 2010
文政十年 丁亥(ヒノトイ・・・1827年の記録)
【巣郷本の記録】
☆凶作 ☆獄門首
六月閏あり。作柄は凶作。年貢割合は文政五年(1822)より一歩引きの割合であった。この他に沢内中で百駄、約10.5tの割引があった。この割引高は一石(150㎏)の収穫に対して二升八合、4.2㎏ということになる。他領地の秋田・仙台領からの買い入れ米の値段は一升、1.5g当たり四十五文約1,125円であった。
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8月 24th, 2010
今から28年前、中国人民解放軍の海軍提督、劉華清が大戦略を立案した。そこには幾段階かの具体的目標が掲げられており、第4段階の目標は2040年までに西太平洋とインド洋から米海軍を排除し、同海域に中国の覇権を確立するというものだ。
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8月 23rd, 2010
ロシアの沿海州、シベリアの各都市には、二度行ってきたが、どの都市にも赤の広場があってレーニン像や戦車が飾れている。高いモニュメントがあって、大祖国戦争の戦死者の名を刻んだ大きな碑も立っている。その数を合わせると対日戦で、日本軍よりも多くの戦死者を出したことなる。
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8月 22nd, 2010
<武家政権最後の征夷大将軍。明治2(1869)年9月、戊辰戦争の終結を受けて謹慎を解除され、引き続き、駿府改め静岡に居住した。政治的野心は全く持たず、写真、狩猟、投網、囲碁、謡曲など趣味に没頭する生活をおくり、「ケイキ様」と呼ばれて静岡の人々から親しまれた。
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8月 19th, 2010
文政五年 壬午(ミズノエウマ・・・1822年の記録)
【巣郷本の記録】
☆大日照り ☆百姓百五十人陳情 ☆徒党の頭牢屋へ ☆喜左エ門逃げ去る
☆新銭交換 ☆碧祥寺御堂建立
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8月 17th, 2010
八月は鎮魂の月である。これを機会に一人の軍人の生涯をフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の全文を引用してみる。根本博(ねもと・ひろし)陸軍中将・・・戦後、いく度か話題になったが、全貌が掴めずに毀誉褒貶の渦のまま忘れ去られてきた。
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8月 10th, 2010
敗戦の日がやってくる。1945年8月15日を長野県上田市郊外の小さな村で迎えた。この村に漫画家の横山隆一さん一家も疎開していた。玉音放送があるというので、母と私はその時間にラジオをつけて聞いたが、雑音が多くてよく聞き取れなかった。横山隆一さんの長女の方が、遊びにきたので、小学校にも入っていない彼女を連れて、近くの川にカジカ突きに出掛けた。8月15日の記憶はそれしか残っていない。
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8月 8th, 2010
イデオロギーに取りつかれるとろくでもないことになる。現実を「見ない」「見られない」「見たくない」から、現実から完璧に遊離した「夢想」が信者のすべてを牛耳ってしまうのだ。文字通りの自縄自縛。
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7月 28th, 2010
文化二年 己卯(ツチノトウ・・・1819年の記録)
☆二朱銀貨来る ☆五人組、組み直し ☆御境奉行・御境古人新町より出る
☆新町稲荷堂改築 ☆盛岡城内に光堂建立 ☆牢者解放・追放者所替え
①作柄は上作であった。「下巾本」には「上々作」とある。秋上げ(秋の米価)は当分はよし(妥当な価格であった)。課税割合は安永四年(1775)の元歩より一歩増しとなった。四月閏あり。「下巾本」には「八月閏あり」とあるが「草井沢本」には「四月閏あり」と記録されている。「白木野本」には「閏」についての記録はない。
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7月 18th, 2010
文化十三年 丙午(ヒノエウマ・・・1816年の記録)
☆苗代に積雪 ☆職人の監察取り上げ ☆代官役所改・修築 ☆桂子沢肝入交代
☆秋田米を盛岡に運ぶ ☆二歩金(金貨)沢内に来る?
①作柄は中の上、平年より少し良い出来具合であった。「秋揚げ当分よし」(秋上げは稲作が不良のために米価が上がることである。「当分よし」ということをどのように理解するかが問題である。
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7月 5th, 2010
文化十一年 甲戌(キノエイヌ・・・1814年の記録)
☆巣郷本の記録様式変わる ☆作柄凶作 ☆女性は眉毛を剃れ ☆隠し鋳銭座焼かれる ☆下前に隠し鋳銭座立つ
①春雪がたいへん多く降り、四月十日頃まで所々に雪が消えずに残った。旧暦の四月は現在の五月に当たる。「所々に雪がある」というのは家の軒下や日陰だけでなく、田畑の「所々」にも雪が残ったということである。四月十六日天気は良かった。
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7月 3rd, 2010
東北新幹線の北上駅に近づくと和賀川と北上川が見えてくる。雪解けの時期には水量が増して、まさに滔々たる大河の面持ちをみせてくれる。和賀川沿いに奥羽山系に向かうと和賀郡、和賀町、西和賀町と四〇〇年前に滅亡した和賀氏にちなむ名前の地が多い。
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6月 24th, 2010
文化七年 庚午(カノエウマ・・・1810年の記録)
☆廻戸川の殺人 ☆馬の競り市の上納金なし ☆奥州南部何郡の何村と名乗れ
①米の作柄は上作。課税割合は昨年と同じ、安永四年(1775)の元歩であった。大豆、小豆下作。粟は上作。御代官 多田専右エ門、沖伝右エ門。入石(他領からの買い入れ米)一升(1.5kg)の値段三十五文(875円)であった。
②十二月二十三日。秋田稲庭(いなにわ)の太吉という商人が仙台からの帰り、廻戸川(まっとかわ)で一緒にいた者に殺された。この事件は結局「フギタオレ」(吹雪のために歩行できずに疲労のために死ぬこと。「吹雪倒れ」と記すのが一般的であるが、記録者は「風」の部首から「虫」を取り去り、代わりに「雪」を書き込み「ふぎ」とルビをつけている。造字である。)ということで処理された。
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6月 23rd, 2010
父・古沢元の故郷である岩手県沢内村を訪れたのは1982年、28年も昔のことになる。少年時代を母の実家がある長野県上田市で過ごしたので、岩手県は未知の世界であった。この年の2月に母が亡くなった。死に水をとりながら、母と父の遺稿集を出そうと思い立った。シベリアで果てた父の墓は川崎市に建ててある。
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6月 21st, 2010
天孫族に抵抗した北の王者の頭領・安倍貞任は、厨川柵(盛岡市)で戦死して一族は四散したが、その末裔は歴史に名を残している。私の小学校は東京・新宿区の愛日小学校といったが、仲の良い同級生に広沢中任(なかとう)さんがいる。兄は高任(たかとう)さん、弟が末任(すえとう)さんの三人兄弟。
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6月 20th, 2010
1987年7月末に安倍晋太郎氏が画家の岡本太郎氏と一緒に訪れた青森県五所川原市は、作家・太宰治の生まれ故郷だが、幻の中世都市・十三湊としても有名である。1340年に起こったとされる興国の大津波で一瞬のうちに壊滅したと伝えられている。
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6月 19th, 2010
安倍晋太郎氏が亡くなって19年間の歳月が去った。秘話になるが、1987年7月末に晋太郎氏は洋子夫人と息子の晋三氏を伴って、青森県五所川原の石搭山・荒覇吐(あらはばき)神社に参拝している。同行したのは画家の岡本太郎氏。
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6月 14th, 2010
文化二年 乙丑(キノトウシ・・・1805年の記録)
☆藩主利啓公従四位に叙せらる
①屋形様(南部藩の殿様・第三十六代利啓公。屋形は利啓公の号で、私称にして使用は領内に限られる「南部史要」)は「四品の御位」(しほんのおんくらい・令制で定められた親王の位、一品から四品まであった。)となる。「南部史要」には、「十二月十六日公従四位下に叙せらる。時に年二十三、古例によるに四位に上るは年四十以上なるも、公蝦夷地警護の功あるため特にこの栄進あるたるなり」とある。
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6月 8th, 2010
信長が合理主義の近代をひらき経済自由主義者だったという妄説を駁す。明智光秀は謀反人ではなく義挙をとげた悲劇のヒーローではないのか。
正統とは何か、歴史とは本質的にいかなる存在か。なぜ正統なる価値観が重要なのか?歴史と正面から向き合い、国家の自尊をもとめて行動する知識人=井尻千男氏は主権回復国民運動の中枢を担い、歴史認識の正論を国民に問うために戦い続ける。
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6月 3rd, 2010
寛政十一年 己未(ツチノトヒツジ・・・1799年の記録)
☆八月十九日大風(台風)吹き荒れる。 ☆下前川の橋架け替えなる。
①米は上々の出来具合であった。課税は安永四年(1775)の元歩より二歩増し(「巣郷本」「白木野本」「草井沢本」。「下巾本」だけが「一歩増し」となっている。)
②御代官 澤田宇右エ門、葛西市右エ門入石(他領より買い入れた米)一升(1.5㎏)は三十六文(1.080円から1.800円)であった。
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5月 28th, 2010
寛政六年 甲寅(キノエトラ・・・1794年の記録)
◇新町堰の工事始まる ◇鳥海山の噴火 ◇横綱谷風の死
①米、農作物の出来具合は中ぐらいの出来。平年作並の出来であった。
②年貢割合は去年より二歩安くなった(「巣郷本」「白木野本」)「下巾本」には「去る丑の年の通り仰せ付けられた」とある。「下巾本」の記録は代官所の側に立った記録が多いことから、あるいは「二歩引き」はなかったかも知れない。
御代官 大里所右エ門、箱石覚右エ門
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5月 27th, 2010
シニカルな言い方をすれば、戦後60年以上も続いた平和の時代は、これが百年続こうと歴史には残らない気がする。言い方が悪いかもしれないが、歴史というのは戦争、争乱、征服、侵略の集大成だといえる。今の様な平和な時代は、後世になってドラマチックな要素に欠けるので、小説やドラマになりくい。
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5月 25th, 2010
寛政元年 己酉(ツチノトトリ・・・1789年の記録)
①米、農作物の出来具合は下作。例年以下の出来であった。年貢課税割合は安永四年の割合より、三歩安くなった。
②御代官 野々村七右エ門、日戸善兵衛。
③御買上米高 一石(150㎏)につき一升(1.5㎏)余りの税であった。
④「草井沢本」
◎寛政元年になる。 4月15日に月蝕。10月1日に日蝕、6分欠ける。閏6月あり。田畑の収穫は半作(平年の半分の収穫)。
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5月 24th, 2010
昭和35(1960)年5月24日未明、突然、契約タクシーにたたき起こされた。「津波がきて大被害が出ている、至急、局へ」というNHKからの伝言。地震も無いのに、津波とは、何事かい。
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5月 21st, 2010
天明六年 丙午(ヒノエウマ・・・1786年の記録)
①米をはじめとする作物は出来が悪く、下の下作。稲は青絶ち(生気がなく枯れそうになっている)。毛見役が来て作柄視察・検査し上納した。御代官本宿弥惣右エ門、坂牛吉右エ門。
②この年米一升(1.5㎏)が七十文(1文30円とすれば2.100円。1文50円とすれば3.500円)。秋田から来た米は一升、八十文(2.400円から4.000円)という高値であったので人々は困窮を極めた。
③このような現状を見届け検分されたのは七之戸安右エ門、上野甚右エ門であった。
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5月 19th, 2010
獄中のホドルコフスキー、釈放求めハンガー・ストライキへ。不正蓄財、脱税、不法送金などプーチンがでっち上げた冤罪。
かつてロシア新興財閥の象徴にしてロシア第二の財閥だったミハイル・ホドルコフスキー(元「ユコス」社長)は03年に突如逮捕されて以来、まだ獄中にある。
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5月 17th, 2010
古代朝鮮の高句麗、新羅、百済三国の歴史は、まだ未解明な部分が多い。ひとつには戦前・戦中の古代朝鮮史の研究が日本人研究者の手に委ねられ、一定の水準を保ちながら、それ以上のものになり得なかった事情がある。
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5月 17th, 2010
天明元年 辛卯(カノトウ・・・1781年の記録)
①五月閏あり。米をはじめとする農作物の出来具合は悪かった。下作。課税歩合は安永四年の未の年より一歩(1%)安くなった。入石(他領地・秋田藩や伊達藩から買い入れた米)は一升あたり三十文(900円から1.500円)であった。「草井沢本」には入石は、清水カ野の久左エ文の家に入る。(取り扱った)と記録されている。
②五月二十七日大洪水になり、湯本の山室橋が流れ落ちた。橋架け替えの時、紛失して十四年もなる湯本の薬師如来像が、湯田の佐吉の子、巳之助という者によって山室の淵より拾い上げられた。(神社に奉納された。)
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5月 15th, 2010
北アジア史に興味があった私は、「蒙古源流」に出てくるグルベルジン・カトウンという美妃の悲話に心を惹かれる。グルベルジン・カトウンは別名でサソリ妃、シルクロードの要衝の地で、交易で栄えた西夏の王妃であった。
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5月 11th, 2010
龍馬が幕末維新の「明」なら、同じ土佐藩出身の岡田以蔵は「暗」だろう。二人は青雲の志を抱いて国を後にし、同士として交際したが、龍馬は「維新の奇才」として讃えられ、以蔵は「人斬り以蔵」として軽侮され、没後145年の今でも以蔵を讃える人は少ない。
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5月 11th, 2010
安永四年 乙未(キノトヒツジ・・・1775年の記録)
①十二月一日 日蝕。
②二月七日 赤雪降る。(赤雪は、中国から季節風によつて運ばれてくる黄砂のこと。現在も二月初めから三月にかけて降る。白い雪に積もるので冬は目立つ)積もること六寸余り(1寸は3.3cm。6寸は約20cm)。黄砂だけでなく雪と混じって積もった量と思われる。それにしても、一日に降った量としては記録的に多い量である。
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5月 8th, 2010
参拝すれば総理大臣になれるという「出世明神」が埼玉県日高市新堀にある。鳩山首相の祖父・鳩山一郎氏もこの神社を参拝した後に首相官邸の主になった。歴代の総理大臣では浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、小磯国昭、幣原喜重郎氏らが参拝していた。政治家というのは”縁起”を担ぐところがあるらしい。
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4月 26th, 2010
明和五年 戊子(ツチノエネ・・・1768年の記録)
①十二月一日 日蝕。正月四日五つ時(午後八時)地震があった。
②六月五日に雨が降ったが、六日から七月十一日まで日照り(旱)が続いた。
③七月二十八日 大地震。八月二十九日霜が降る。地震と天候不順は人々の不安を募らせたに違いない。しかし、田畑の出来具合は「中の上」とある。
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4月 22nd, 2010
敗戦直後、古紙などを漉き直した再生紙(仙花紙)で英語の授業を受けた。その中に水仙の由来を書いたギリシャ神話の話があった。水仙のことを欧米ではナルシスと呼ぶ。
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4月 21st, 2010
漫画家・杉浦幸雄さんの義兄に岸丈夫さんという戦前に売れた漫画家がいた。岸丈夫さんは岩手県西和賀町沢内の出身、漫画家になる前に油絵の洋画家だった時代がある。昭和9年(1934)にふらりと満州旅行に出た。
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4月 16th, 2010
天皇、皇后両陛下主催の春の園遊会でフィギュアスケートの浅田真央選手が「このたびは本当におめでとう」と天皇陛下から声をかけられた。オリンピックの大舞台で緊張もせずに銀メダルを手にした真央ちゃんが、「はい」を四回、「ありがとうございます」を四回繰り返しただけ。
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4月 12th, 2010
他家の墓を見て回るのは他言を憚る趣味なのだが、この”墓荒らし”を始めて二十年近くになる。還暦を迎えた頃、家の紋章である「家紋」に興味を持った。家紋の研究書には大正十四年発刊の「日本紋章学」がある。沼田頼輔氏が明治書院から発刊した一千数百ページに及ぶ大著だが、戦後の家紋に関する本は「日本紋章学」に依拠するものが多い。
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4月 11th, 2010
この十五年ほど春が来ると茨城県の下妻市や八千代町を必ずといってよいほど訪れてきた。ことしもその季節がやってきたが、底冷えする陽気に災いされて足が鈍っている。七十八歳の身には寒さが禁物。心は鬼怒川の河畔に飛んでいるが、川風は年々歳々、身に堪える様になった。
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4月 5th, 2010
関東で一千挺の鉄砲隊を擁して徳川家康から怖れられた戦国大名・多賀谷氏の居城は、茨城県の下妻市にあった。寛正三年(1462)に下妻城が築城されたが、周辺を沼地に囲まれ、大宝沼と砂沼に挟まれた島状の高台に築かれた水城だったという。
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4月 2nd, 2010
宝暦七年 丁丑(ヒノトウシ・・・1757年の記録)
①十二月十五日 月蝕。
②田は上作。米は平年以上によい実りであった。しかし、凶作が続いたのでこの年まで難儀(苦労)した。(「下巾本」)
③去年の不作のため、米一升の値段は百三十文(6.500円)であった。(「草井沢本」)
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4月 2nd, 2010
地球上でホモサピエンスが誕生したのは20万年前(猿人は百万年前)のアフリカだったといわれている。それが北上して、一つの流れはアジアに向かい、もう一つの流れはヨーロッパに向かったと言われている。
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3月 31st, 2010
中国が眩しく輝いているように見える。中国経済が巨大化しているために、東南アジアの国々が中国へ草木のように靡いている。日本でも、小沢一郎与党幹事長が数百人の群臣を率いて、北京へ朝貢したことは記憶に新しい。
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3月 26th, 2010
高橋繁さんの「沢内年代記を読み解く」や私の「孫娘の卒論・退休遺書に教えられる」がよく読まれている。想像も出来なかったが米国や中国の日本人ブログにも転載されていた。私自身も経験があるのだが、海外で一人でホテルの夜を過ごすと、日本が懐かしく愛国者的になる。
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3月 23rd, 2010
高橋繁さんの<「沢内年代記」を読み解く(十)>は、宝暦六年・丙子(ヒノエネ)一七五六年の記録まで来た。この宝暦年間に遡る延享五年(1748)に作られた沢内・古沢氏の墓碑が残っている。
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3月 20th, 2010
延享元年 甲子(キノエネ・・・1744年の記録)
①この年から節気を表す暦の組み合わせは、「上段」の組み合わせに従う。
②四月にになり、鶏が羽ばたきするようになった。沢内通りの全ての鶏のことを指しているのだろうか。1742年(寛保2年)の記録に「この年より鶏羽ばたきなし。」とあつたから、それから3年目になって、鶏が羽ばたくということであるから、鶏にとって異常な年が続いたことになる。
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3月 13th, 2010
元文元年 丙辰(ヒノエタツ・・・1736年)の記録
①御代官 毛馬内権左エ門 五月沢内にて病死。御代りとして照井多左エ門様お出でになる。葬儀等の後始末は、どうなされたものて゛あろうか。代官毛馬内様の遺体は、ご自宅に運ばれたのであろうか。ご自宅が盛岡にあったとすれば一日がかりのはずである。越中畑の関所役人の妻が亡くなった時には関所役宅の近くに葬ったと伝えられ、お墓もあったということである。当時は土葬がほとんどであったということであるから、あるいは代官所のある新町のどこかにお墓がああるかもしれない。
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3月 12th, 2010
岩手県沢内村には大正時代の末期まで、茅葺きの私の家があった。共同通信社の政治部長だった小田島房志さんが「君の家屋敷には大きなケヤキの木があって、その前を通りながら小学校に通ったものだ」と述懐していた。小田島さんは沢内村の出身、あだ名は”岩手牛”。私の遠縁に当たる。
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3月 8th, 2010
享保十二年 丁未(ヒノトヒツジ・・・1727年の記録)
①五月は 閏月であった。
②五月二十日 洪水。この洪水は、和賀川の支流である沢々から流れ出る小川だけであった。和賀川の本流は洪水にならなかった。現在の「ゲリラ豪雨」、部分的な大雨による洪水のように思われる。
③御代官 横沢武次右エ門 澤田十右エ門
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3月 6th, 2010
共同通信社の社長だった犬養康彦さんは「昭和20年の終戦の直後から、21年10月に安倍能成さんが院長に就任されるまで一年余りの間というのが、学習院の存続の危機の期間だったと思う。当時の山梨勝之進院長時代に、宮内大臣として石渡荘太郎さんという偉い先輩がいて、この石渡さんと山梨さんが中心になられて、学習院の歴史を護った」と回顧している。
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3月 6th, 2010
松浦と書いて「マツラ」と呼ぶ。「マツウラ」ではない。「マツラ」の松浦姓には、古い歴史が存在している。「北条九代記」の巻・第十一、「蒙古来襲 付けたり神風 賊船を破る」の項に”弘安の役”の海戦の模様が出てくる。
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3月 4th, 2010
日本の中世史で興味を惹かれるのは、朝敵・逆賊といわれた足利尊氏が開いた室町幕府である。この時代に中国大陸や朝鮮半島との交流が顕著となって、華麗な室町文化が花開いている。さらには、その前史となる鎌倉幕府とくに北条執権時代が面白い。
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3月 1st, 2010
享保二年 丁酉(ヒノトトリ・・・1717年の記録)
①この年、米の収穫高は平年の半分、「半作」であった。去年の「申」(サル)年は、米の実りが悪く(不塾)であったので、米の値段は上がった。1升(1.5㎏)は、40文(2.000円)から45文(2.250円)になった。《注:この年、大岡越前守忠相江戸町奉行に任命される。幕府、享保元年より「享保の改革」を開始している。「歴史年表」より》
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2月 27th, 2010
19世紀の初め鎖国日本では、長崎だけが唯一の外国との接点地で特にオランダとは密接な関係にありましたが、このころになると相次いで、長崎にアメリカ船、イギリス船が姿を見せるようになりました。
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2月 27th, 2010
今では書店にいっても見かけない岩波書店の月刊誌「世界」だが、戦後の混乱期からベトナム戦争にかけて知識階級が一番読んだ雑誌ではなかったか。その「世界」の一九八〇年四月号から翌年の一九八一年四月号に十回にわたって「戦後保守政治の軌跡」と題した鼎談が連載された。
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2月 25th, 2010
正徳元年 辛卯(カノトウ・・・1711年の記録)
《注・宝永六年(1709年)1月10日、徳川五代将軍綱吉が没する。5月1日に、綱吉の兄綱重の子を養子にした家宣が六代将軍となる。「生類憐れみの令」は廃止された。「日本歴史年表」より》
①節気の「寒」に入って三十日間 少しの風も吹かなかった。 「少しの風も吹かない30日」の天候はどんなものか。晴れの日が30日続いたのだろうか。吹雪がないのだから、過ごし易かったと思われる。米や農作物の作柄に直接関係のない、冬季での無風であるのが残念であったに違いない。
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2月 25th, 2010
宝永元年 甲申(キノエサル・・・1704年の記録)
①「改元有テ宝永トナル」 年号が代わって宝永になった。幕府の財政は厳しさを増す一方であったので、勘定奉行、荻原重秀を中心に財政の建て直しに懸命であった。貨幣改鋳し、幕府役人の整理などを実施していることから、財政改革をし豊かな年にするという意味からの改元であるように思われる。
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2月 22nd, 2010
元禄元年 戊辰(ツチノエタツ・・・1688年の記録)
①越中畑(えっちゅうはた・岩手秋田の県境・南部藩の関所があつた)の者たちが、謀議をこらし、山内村(秋田横手市)の南郷弟助という人の家に、夜、強盗に押し入った。
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2月 20th, 2010
延宝七年 己未(ツチノトヒツジ・・・1679年の記録)
①青倉山の岩穴
細内村(ホソナイ村)に、次郎右エ門という浪人がいた。この浪人、岩倉山(イワクラヤマ)に岩穴があることを知ると、
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2月 20th, 2010
稀にしか味わうことの出来ない寂寥と哀切。読了ののち、一言の感想をいえば、歴史の寂しさ、絶望、生きとし生けるものの冷酷さと残酷さである。そして全編に漂う容易ならざる虚無。いやこれこそが日本人の情感なのか。
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2月 19th, 2010
産業革命による近代化のツナミが極東の桃源郷のような小さな島国に押し寄せてきた。
徳川幕府の鎖国政策は元和2(1616)年、シナ(明)以外の船の入港を長崎・平戸に限定することから始まり、寛永12(1635)年にシナ・オランダなど外国船の入港を長崎のみに限定、日本人の渡航と帰国を禁じたことでほぼ完成した。
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